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自然法の法史的意義


NPO法人全国生涯学習支援協会
代表理事 田中 謙次


     自然法とは(実定法との比較)

実定法とは社会に現実に行われている法をいう。一定の法制定権力によって決定され執行されている。一定の時代一定の社会に効力を有するものとして実証的に把握されうる形で現れる現象的な法であって,制定法ばかりでなく慣習法や判例法も含む。通常は法といった場合,実定法を指している。成文法国の実定法は主として成文法から成り立っている。慣習法や条理法もそれを補う役割に担う。実定法は権力が内容を決定するところから権力の性格や政治体制,経済構造や社会的背景によって内容が異なる。また,実定法は歴史と共に変化し,国家により,民族により相違する。しかし,結局は人間の作った法である以上,常に不完全である。

それに対して,自然法とは,完全に理想にかなった法といえる。つまり,追求すべき法が自然法という位置づけとなる。自然法とは人間の本性とか事物の本質とか根源的なものに立脚する法である。一定普遍の道徳理念に根ざす人間の理性を通じて先験的に認識された法である。超歴史的な普遍妥当性を有する自然法はいかなる権力にも超越する超国家的な世界共通の法ともいえる。

 

     自然法における「自然」とは

自然法といった場合の「自然」とは,神の理性,人類の理性,普遍的な理念,理想的社会正義などいろいろ考えられるが,近世以降では「自然」法とは人間自然の本性にかなった法として説かれる。また「自然」法は時間的にも場所的にも制約されず,したがって実定法より高次の規範であって,その基本原理として存在し,実定法に妥当の根拠ないし基準を与え,場合によって実定法を補充したり否定する場合もある。

 

     自然法の考え方の変遷

(1)  古代ギリシア

ヨーロッパにおいて,実質的な意味での法的学的な思索の源流をたどると,古代ギリシアに行き着くと言われる。

古代ギリシアの法思想は,ポリスの動向に左右され発展しているといえる。すなわち,ポリスが成立する以前のギリシャ人たちの考え方は,他の古代世界の人々と同様に神話的な世界観を大枠にしていた。すなわち,自然に対する人間の支配がそれほど高水準でない状態においては,ある意味で人間は自然の中に埋没して生きていたともいえる。自然は人間にとって何かある超越的なものとして,人間はそれに支配され服従すべきものとされていた。ギリシアにおける古代から民主制ポリスに至るまでの思考の一般的な傾向として,万物の運動や運行を司るものは超自然的秩序であり,この超自然的秩序の一部が社会秩序として現れるという考え方を指摘できる。つまり,法的なものも,社会秩序の根本が超自然的秩序であるがゆえに,その部分的な現象と捉えることになり,それとともに,社会の法則としての法は,自然の法則の一部に位置づけられることになる。この時代の社会規範は,神話的で宗教的秩序と世俗的秩序の混合物であったと言われている。こうしたルールによって規律されていた人々の形成した社会は,血縁的な共同体を基盤とするものと考えられるが,こうした氏族共同体が解体していった結果,ポリスが形を整えることになる。

古代ギリシア人の定住生活は,土地の私有制に基盤をおく共同体から始ったといわれている。しかし,この土地私有制が発展すると共同体構成員の間で階級分化が進むことにより,貴族・農業労働者・奴隷などの身分制度が形成される。この過程の中でポリスが形成されるのである。

初期ポリスは,総じて大土地所有者である貴族の支配する政治形態をとっていた。しかし,ギリシア世界が植民活動によって地中海世界全体に拡大し,その中で商工業が発達してゆくにつれて,貴族制の基盤が揺らぐことになる。つまり,商工業の発展は,一般市民の経済力を向上させることを意味し,それにともなって自分達に相応しい政治的な発言力を市民達が求めるようになる。その結果,ポリスの政治形態は,民主制へと発展してゆくのである。

この民主制の確立期における法的思考を示すのが,テスモスとノモスである。テスモスとは,定立されたルールを意味する。それに対して,ノモスとは,もともと人為的に定立された社会規範であるテスモスが,内面的に遵守される掟として定着していったものと考えられる。紀元前6世紀を通じて徐々にこの変化が起きたといわれるが,ノモスは父祖伝来のルールとしてポリス構成員を拘束してゆくことになり,やがてソフィストと呼ばれる人たちによってその権威と絶対性を疑われるようになる。

紀元前500年?のペルシア戦争での勝利,紀元前431年?のペロポネソス戦争による疲弊,その後のマケドニアによる征服によって,アレキサンダーが即位した後(紀元前336年)には,ギリシアはその大帝国の一小版図となりはてた。この歴史の変動の中で,当然ポリスの姿も変えることになり,そこでの社会規範も変化する。

ペルシア戦争に勝利したギリシアは全盛期をむかえるが,それに反してポリス的生活は腐敗する。政治的には民主制の衰退として現れる。この時期の思想を代表するのが,ソフィストと呼ばれる一群である。ソフィストたちは,何ごとに対しても懐疑的で否定的な態度で問題を投げかけ,これまで定説と信じ込んでいた伝承的なルールを疑い出した。父祖伝来のルールであるノモスも,ソフィストの立場からは,実際は人為的なものであるがゆえに,絶対的な権威をもつものではないとされた。そして国家や規範は客観的な根拠に基づいてではなく,人間の主観的な恣意に基づいて作られたものであり,正義もまた客観的なものではありえず,正と不正の判断基準も人為的で主観的なものと捉えられることになる。言い換えれば,ソフィストたちは,主観主義と相対主義の立場からポリス社会そのものに疑問を提起したといえる。この頃のソフィストには,プロタゴラスやゴルギアスなどがいる。

しかし,彼らの如く,すべてを疑ってかかり,これまでの社会規範であったノモスをも否定してしまっては,社会生活は安定しない。そこで,ノモスを批判しながらもそれを超える正を主張する人たちが登場する。彼らを第二世代のソフィストと呼ぶ。

この第二世代のソフィストは,ノモスに自然を意味する語フュシスを対置する。彼らは,フュシスすなわち自然に基づく法ないし正を想定し,これを基準として人為的基準であるノモスの正・不正を判断しようと主張した。簡単にいえば,人為的なものと切り捨てたノモスに対抗して,自然的(本性的)な正としてのフュシスを想定したのである。これには,ヒッピアス,カリクレス,アンチフォンなどが属する。

しかし,その後,第一世代,第二世代のソフィストとも異なる思想を提唱する者が現れる。自分自身の魂の中にある「徳」を対置し,そうすることによって客観的な正を肯定的に捉えようとする哲学者ソクラテスである(紀元前469?〜399)。ソクラテスは,ノモスそのものの批判によって改革を試みるよりも,ポリス構成員各人の内面の倫理的な改革と人為的な紐帯の回復を求め,人間の内面の思索を思考した。ソクラテスは,正しきこと(ディカイオン)は適法的なこと(ノミモン),ノモスに適うことと考えた。ただし,ここでいうノモスは単にポリスの法を意味するばかりでなく,「書かれざる法律」(アグラフォイ・ノモイ)をも含意し,これを犯すものは自然的刑罰を受けるとされる。そして彼の考える正しきこととは,ポリスの実定的法秩序を超越する自然的正であるとし,さらにその正はポリスの法秩序に具体化されて現れるものである。つまり,正しきこととノモスは同一ではないが,不可分のものとした。こうした意味で,ソクラテスは,ノモスを正と統一することで復権したといえる。

その後,このソクラテスの考えを深化させ発展させる哲学者が現れる。それが,プラトンであり,アリストテレスである。

プラトン・アリストテレスが哲学的思索をすすめた時期は,まさにポリス没落の時期と重なっていた。この頃の,ギリシアは,土地の集中,貨幣経済および奴隷制の発達によって,自作農民や中小商工業者などの一般市民階層が経済的基盤を失って没落し,その結果,ポリスの軍事面を支えまた一般市民階層の発言力の背景ともなっていた重装歩兵市民団を維持し得なくなって傭兵の採用が一般化し,さらに市民の発言力を弱めていった。

プラトンの思想で有名なものは,イデア論である。プラトンによれば,われわれが生活している世界の虚ろいやすい事物など真の実在ではなく,それは不滅である真の実在の影でしかない。その不滅である真の実在の世界こそがイデア界であり,このイデアの世界を認識することが真の知であるとする。すなわち,プラトンはソクラテスにならって,真の知とは何かを問い,それにいたる「上昇」の方法としてディアクレクティケ(弁証法),つまりダイアローグ(対話)の技術である対話法を説いた。そして真の知であるイデアを認識し,これに照らして現実世界をイデアの世界に近づけようとすること,これこそが哲学者の使命であると主張した。簡単にいえば,この世界はイデアという理想国家を目指しており,この世の物質・肉体に囚われてしまった霊魂は,本来あるべき場であるイデア界に憧れるのであり,それに到達するための方法として対話法があるとする。このイデアの世界は,最高のイデアである善のイデアによって秩序づけられており,この善のイデアが支配するイデア界に理想の法と国家が存在する。プラトンは,この最高善を,人間に宿る霊魂においては,理性的,気力的(勇気),欲望的(情欲)の三側面をもち,それぞれは知恵・勇気・節制の徳を追及しなければならないとする。そして,この3つの徳を調和的に統合する徳が正義であるとする。また,プラトンは,この正義を実現する手段は国家であるとする。国家も霊魂と同様に,統治者,守護者(軍人),生産者の3つに分化し,これらに属するそれぞれが徳(知恵・勇気・節制)を追及し,それが調和的に統合されている正義の実現状態を理想の完全な国家であるとする。また,プラトンは,この理想の国家を実現するためには,哲学者による統治が必要であるとする。しかし,現実問題として哲人政治を実現することは困難であり,それを理想としながらも,法の支配・法治国家を考えるようになる。

プラトンの弟子であるアリストテレスは,その後,プラトンのイデア論を批判し,こうした考え方では現実を捉えきれないとした。アリストテレスは,事物の本質を形相(エイドス)と質料(ヒュレー)からなるとする。たとえば,木材が質料であるとすれば家が形相ということになる。形相は机であったり,椅子であったりする。つまり,木材という質料は,形相によってその形を変える。アリストテレスは,ここから,存在する事物を終局の目標に向って不断に発展するものと捉える目的論的世界観を説いた。さらに,彼は,人間は本性的にポリス的動物であると説く。男女の結合から家族そしてその共同体と発展しポリスを形成する点に着目し,ポリスは人間がその本性に基づいて追求すべき終局目標であり,人間はこれによってはじめて完全な生活に到達することができるとする。また,ポリスを形成することが人間の本性に基づくとはいえども,自然必然的にそれが実現されるものではなく,人間の理性ないし知性に基づく自覚的選択によるものともする。この理性・知性に基づく自覚的選択こそが人間の特質である。すなわち,アリストテレスは,何が正であるか,を決定するのはポリスの支配的秩序そのものであると主張する。彼は,ポリス秩序を超越する正の存在を主張するソフィストに反対し,そのポリスの秩序に内在し,そこに現れてくる諸々の正義観念を分類し体系化することが重要である,という観点に立つ。これこそがアリストテレスの正義論の基盤なのである。ちなみに,アリストテレスの正義論において展開される国家像は,人々に幸福をもたらすものであり,その主な役割は正義の実現にあるとする。そして,その正義とは,善とは別の「平等」に求めて行くことになる。この正義論は,今日に至るまでヨーロッパの正義論に影響を与えているといえる。

 

《筆者雑感》

古代ギリシアにおける自然法といっても,一言ではその内容を表現することができない。上記のように,ポリス(共同体)の発展〜衰退の歴史の中で,自然法に対する考え方も変化しているからである。プラトンの考える自然法は,実定法などとは異なる超越的な絶対的法秩序と思える。誤解をおそれずに申し上げれば,神の求める世界像がまさにプラトンの考えるイデアなのではなかろうか。揺るぎない絶対的な存在としての規範,それが実現された世界がイデア界なのである。

それに対して,アリストテレスの自然法は,プラトンとは全く異なるといえよう。アリストテレスは,プラトンのように机上論的ではなく,リアリティーのある法秩序といえよう。つまり,共同体(コミュニティー)を出発点として,その人との関係の中から生ずる法規範,たぶん,共同体における各人が平和のなかで公平に生をまっとうできる工夫・知恵として生まれたルールを発見し,それを体系化したのであろう。ただ,時代の変遷とともに変化する社会環境の中で,その規範も変化するのであり,その変化の中でも共同体の秩序を維持するという目標(目的)みたいなものが必要となる。その目標・目的となるのが,正義であり,その中身が平等・公平といったところなのだろう。私見としては,アリストテレスの法思想は,正義というポリスを形成するための知恵としての自然法に基づいて作られる実定法を考えるのであるから,実定法は,自然法の現れの一部ともいえると思う。そういった意味では,近代における法実証主義の考え方に近いものと思われる。



(2)  古代ローマ

ローマはその大帝国に相応しい法体系を形成したが,法哲学的な考察という観点からすれば,古代ギリシアの模倣の域を超えるものではない。しかし,広い意味での法思想,法律学的なものの考え方という面で,後世に与えた影響はきわめて大きい。

ローマは,紀元前3世紀ころから本格的に地中海世界に進出し,カルタゴを破って地中海の覇権を確立し,第二次ポエニ戦争(紀元前218201)の勝利を契機に,世界商業の中心地としての地位を確立して行く。その過程において,ローマは,ギリシアのような同質的な共同体で形成される国家ではなく,膨れ上がる国家とともに異質的な多種多様な民族との共同生活を余儀なくされる社会へと変化する。また,農業中心の社会構造から商業中心の国家へと変貌を遂げる。政治体制も,拡大する領土を支配するために,中央集権的な司法・行政組織ないし官僚制度をもつ巨大な政治機構を作り上げるに至る。それゆえに整備された法律学を必要とするようになる。

歴史的には,ローマ帝国全盛期においては,膨れ上がるローマの民の階級闘争を鎮めるために「十二表法」が制定され,その運用の中で法解釈学が発展する。事件を解決する中で生まれる法規範を後に編纂し学説法が生まれる。ちなみに,ここで言う法解釈は,現在のような「言葉の遊び」ではなくまさに「法創造」だったと言われている。全盛期のローマ帝国の特定の法学者には,法創造の特権までもが与えられていた。このことがローマ時代における法学の発展を促したといえる。ただ,長く続いたこの法学発展期も,国家権力の衰退とともに,自己崩壊することになる。衰退期のローマ法の運用は,過去の学説の引用に終始一貫していたと言われている。

古代ローマにおける自然法の観念について検討してみよう。この時代の法思想の代表といえば,ストア派と呼ばれる人々の思想である。その創始者はキプロス島出身のゼノンである(紀元前335263)。

彼らの自然観は,現実的なものをすべて物体とみなすものであるが,同時にそれら存在するものには紳的なもの,すなわち普遍的なロゴスがその根本にあると考えた。このロゴスとは,万物を導く神の摂理であり自然の法則であると同時に,理性的存在者である人間にとっては正・不正の規準となるものである。人間の本性は世界理性の分身である人間理性であり,これは全人類に共通するものであるがゆえに,人間は平等であると主張することになる。

こうしたストア派の考えを引きながら折衷主義の立場をとったキケロ(紀元前10643)は,法思想の歴史において重要な位置を占めている。彼は,宇宙理性(ロゴス)の発現である「永久普遍の法則」が存在し,それが自然世界においては自然法則として,人間世界においては人倫法則として妥当すると説く。この人倫法則は,神の理性そのものの中にだけ存在するのではなく,人間本性にも萌芽的に内在しており,人間はそれを正しき理性によって認識することができる。また,この永久普遍の法則は,キケロによれば,自然世界の必然的な法則であり,同時に人間本性(人間的自然)に植え込まれた人倫法則であるという,二重の意味で「自然の法則」である。この自然の法則が人間の共同生活に現れでたものが「自然法」であり,これに適合する人間の信条と行動が「正義」である。この中の狭義の正義が,あの有名な「各人に彼のものを(与えよ)」である。

セネカ(紀元前4〜後65)は,自然法という言葉は用いなかったが,「自然」の語を基盤として実質的には自然法論を展開した。彼によれば,人間はかつて理想的な秩序を誇った黄金時代に生きていたが,現代の人間はそれから堕落し,頽落態にある。それゆえ,それぞれに妥当する自然法は異なり,黄金時代のそれと,頽落した状態での自然法的正義原則が区別されることになる。こうしたセネカの区別は,罪を知らない神の楽園にいた人間のあり方と,堕罪のゆえに現実世界で苦しむ人間の状態とを区別して,そこに妥当する自然法が別のものであることを説くキリスト教的自然法論に大きな影響を及ぼしたといえよう。

 

《筆者雑感》

実践的な法の発展という意味では,ローマ法は新しいものがある。慣習法から生まれる法原理が定着したがゆえに,これだけ長く続いたものともいえる。ただ,自然法という点に着目すれば,ギリシア時代に提唱された観念を引き継いだだけともいえる。キケロの自然法観念だけをみれば,アリストテレスのそれよりも,神がかり的な観念を感じる。



(3)  中世

中世ヨーロッパの法思想を考えるにあたっては,キリスト教の影響を無視することはできない。原始キリスト教の場合は,その対象は人間の内面であり,外的領域の国家や社会秩序は主要な関心事ではなかった。しかし,中世社会全体を見れば,法思想に限らず,思想全体,中世ヨーロッパの人々に共通する意識や感覚にいたるまで神学的世界観に彩られており,キリスト教的な思考の枠組みを基盤とする世界であった。

また,中世ヨーロッパの社会はいうまでもなく封建制社会である。この基本的な構造は直接生産者である農民(農奴)から,領主が全剰余労働生産物(農民が自分達の生活と次の年の耕作に必要なものを除いた残りの生産物)を収奪するものであった。この収奪の手段が暴力であれば,その制度は長くは続かない。封建制社会が成り立つためには,収奪することに正当性がなければならない。この正当性の根拠を与えたのが,宗教である。すなわち,宗教により神が定めた身分秩序が正当化根拠であった。それゆえに中世社会においては教会の存在が重要となるのである。これが中世封建制社会の基本的イデオロギーとしての神学的世界観の基盤である。

初期のキリスト教は帝国から組織的な迫害をこうむることもあったが,312年にコンスタンチヌス帝によるミラノ寛容令によって公認され,392年には国教とされるにまでなった。キリスト教と世俗の国家や社会秩序との関係が緊密になるにつれて,教義の理論化と体系化が必要となる。そこで,教父と呼ばれる者たちが,主としてストア派の哲学に学び,彼らの目的のもと改変してゆくことになる。つまり,人類の堕罪以前の楽園の法である絶対的自然法は,キリスト教的な愛の共同体の法として妥当していたが,これに対して人間が原罪を背負ってしまって以後は,それと区別される相対的自然法が通用する。この相対的な自然法によって,世俗の社会や国家の規範的秩序ないし法制度が基礎づけられるとしたのである。ただし,この両者の区別はその作用の相違によってなされるものであり,本質的には1個のものであるとされ,つまりは,1個の最高の絶対的自然法則が存在し,それがそのときどきの状況の変化に応じて具体的な現れ方も変化するとされた。

このような思想を説いた教父たちの中で最大最終の教父と呼ばれるのがアウレリウス・アウグスティヌスである。彼によれば、神はそれ自体で充実している絶対善であり,神自身の中にあるイデーに従って(それを原型として)世界を創造した。この神によって創造された世界の中で人間は自由意思をもつが、原罪ゆえに悪をなす自由しかもたない。こうした罪を負った人間が救われるのは,神の恩寵(グラウディア)によってのみであり,そしてこの恩寵は教会によって媒介される。こうして彼は教会の重要性を基礎付けた。また,彼によれば,法(法律ないし法則としてのレクス)は,世界の創造主である神の理性ないし意思の発現としての「秩序付ける秩序」である永久法を頂点として,自然法,世俗法(あるいは時間内的法)からなる。「永久法」は神と同じく永遠かつ普遍であり,全被造物を支配する法である。これの本質が自然的秩序の保持を命じ,その侵犯を禁ずる神の理性ないし意思にあったがゆえに,永久法の内容はこの自然的(本性的)秩序の解明を通じて,すなわち被造物秩序の探求を通じて把握されることになる。全被造物のなかで永久法を認識でき,それに従って自覚的に行動できるのは人間だけである。こうした人間が自分自身の内部に発見する法,それが「秩序づけられた秩序」としての「自然法」である。しかし,この自然法も,世俗の世界に生きる人間たちの具体的な行為を規律するには抽象的にすぎ,時間と空間の制約の中でより具体的な法が定立されなければならない。この実定法が,「世俗法」ないし「時間内的法」である。この法は,自然法さらには永久法に基づかない場合,無効となり拘束力をもたない。

上記のアウグスティヌスの思想は,奴隷制を前提とするものであったことから,歴史の中で奴隷制が崩壊し封建制になることによって,キリスト教も社会の変化に対応を迫られるようになる。すなわち,キリスト教化のすすんだ中世盛期の社会は,その信仰を彼岸においたままであることを拒絶し,此岸つまり現世の側に神の国の実現を求め,かつてはネガティブに捉えられていた人間の自己完成能力の復権を求めるにいたったのである。こうした課題を引き受けたのが,スコラ学者とその自然法論であった。

スコラ学は,8〜9世紀のカロリング・ルネサンス期にカール大帝によって設立された学院(スコラ)に起源を有する。13世紀に全盛期を迎え,14世紀には衰退期に入る。スコラ学の研究課題は,信仰と知,つまりキリスト教を信ずることと真理を求める学問研究(神学と哲学),神と(世俗の)世界の関係…であり,その中であの有目な普遍論争,すなわち普遍=概念は実在するか,それともそれは個々の物を総称するための単なる名前にすぎないのかという,普遍と個物の関係をめぐる論争がたたかわされた。スコラ学において,トマス・アクィナス(122474)を抜きには語れない。

トマスは,一定の制限を課しながらも人間の理性の地位を確立したことから,その立場を主知主義とみなすことができる。すなわち,彼は,恩寵の光である神の啓示と自然の光である人間の理性を区別し,その上で神学と哲学の調和を図った。その世界観はアリストテレスと同様に目的論的である。すなわち,神はその知によって最善の世界を創造し,そして自然世界の全存在は形相と質料から成っており,また1つの終局目標にむかって発展してゆくものである。それゆえ,すべての存在物は目的志向性をもっていることになるが,自然的事物や人間以外の全生物にあってこの志向性は盲目的必然性や本能として現れ,それに対して理性をもつ人間にあっては自覚的かつ自発的な行為として現れる。こうした人間の目的は,永久の幸福すなわち神を会得することにあり,それはたま人間の自己完成である。これは同時に神の目的を開示することでもあるが,これを達成させるのは法(法律ないし法則としてのレクス)と恩寵である。したがって,罪とは,自由である人間が神の働き,すなわち法と恩寵に反抗することになる。

また,トマスは,法について,理性ないし知性は意思に先行しており,それゆえに法もまた意思ではなく理性の産物であるとする。そして理性によって産み出された法の目的は,人間に共通する全体的な善と個人の善との統一と考えられる「共通善」であるとする。つまり,トマスの法の定義は,「共同体の管理を司る者(神)によって制定され公布される,共通善を目的とする理性の成す秩序付け」ということになる。さらに,トマスは,法を,永久法,自然法,人定法,神の法の4つに分類する。永久法とは,神の支配・秩序造りの計画ということになる。自然法とは,この永久法を理性的被造物である人間が分有したものとなる。それゆえ,自然法は理性的存在者に依存し,しかも自分で発見できるものである。しかしこれは,あくまでも人間の自然的本性の傾向が向かってゆく目標をなしているにすぎない。ただし,そうであるがゆえに逆に自然法は永久不変のものではなく,可変的な部分をもつことになる。つまり,トマスの説く自然法は人間の本性における目的を考慮しつつ,そのときどきに内容を豊富化できるような可変的体系でもある。人定法とは,この自然法の細部を決定するものであり,自然法に合致することで法となり,拘束力をもつことができるとされる。最後に神の法とは,聖書とりわけ旧約聖書に示された神の法則であり,人間を永遠の幸福に導くことを目的にすると言われる。

トマスの自然法についてもう少し検討する。トマスのいう自然法は,アウグスティヌスと同じく,永久法に対する理性的被造物の参与として捉えられるが,既述のように直接の命令・禁止を指示するものではなく,人間の自然的本性が向かう終局点(善)を示すだけである。彼の自然法の最高原則は「善はなすべく,追求すべきであり,悪は避けるべきである」となる。問題は何を善とし何を悪とするかである。トマスは,善とはすべてのものが欲求するところのものであると定義する。すなわち,善と感じられるものが自然的なものであり,自然的なものが善の認識根拠となる。ただこれでもわかりにくい。何が人間の本性なのかを定義しなければ自然法の意味は明らかにならない。トマスは人間の性向を次のようにまとめ,そこから自然法的な規定を導き出す。まず,人間は自己保存の性向をもっており,ここから当然に自殺と他殺の禁止が帰結する。次に性および生殖の性向である。ここから帰結するのは婚姻および育児の命令であり,他のすべての動物と共有する。さらに真理の認識および共同生活への性向である。ここからは真理を求めかつ語るべしという命令や,他者との友好的関係の命令,他者侵害の禁止など,特殊人間的な傾向に着目した規定が帰結する。

 

《筆者雑感》

中世社会の法的な考え方の特徴をまとめると,まず中世中期までは「古き良き法」という観念が支配的であったように,慣習法が優位にあった。簡単にいえば「しきたり」である。この「古き良き法」の観念からすれば,法はすでに与えられているものであり,人間は法を発見し実現する義務を負うだけになる。これに加えて,キリスト教が定着するにつれて法は神によって創られたものとされ,法の神聖性さえも言われるようになった。こうして,中世中期においては「自然法―国家―人定法(実定法)」という序列が定着し,中世的な「法の優位」が言われることになる。

したがって,同じく自然法という用語であっても,時代によってその中味がまったくことなるので,注意して使わなければならない。中世では,神の創った規範の一部を人間が有し,その理性によって発現されたものがまさに自然法であるということになると思われる。

 

 

(4)  近代

近代という時代における精神のあり方を特徴付けるのは,自我の確立ないし主体性の理論の獲得である。つまり,自発性ないし自律性をもち,何者にも支配されない自由で独立した個人,という人間観が近代精神の基盤となる。近代以降の社会において,社会と個人,全と個とを分離し,そのうちの個人または個を第一次的なものと考える傾向が主流となる。言い換えれば,個人を「実体」的存在とみなし,そしてこの第一次性を基盤として社会や国家また法などを考察しようとする傾向が支配的となる。こうした傾向をもつ社会理論の典型が近代自然法論である。

啓蒙期自然法論は,ルネサンスと宗教改革を通じて精神世界において準備された主体性の理論を,その主張を介して現実化していった理論と位置づけることができる。そして近代初頭に有力となったこの自然法論はまた,主体性の論理を基盤として社会変革の理念にまで作り上げられた,とも言うことができる。

古代や中世の自然法論が想定する「自然」は,その神が唯一絶対の人格神かどうかを問わないとすれば,おおよそ神そのものあるいは神の理性や意思の顕れと受け取られていたといえる。それゆえ,その自然に基づくルールである自然法も,神の秩序が人間の社会に適用されたもの,すなわち,人間から超越している存在に根拠をもつものと考えられていたのである。それに対して,近代自然法論ないし啓蒙期自然法論とよばれる自然法論は,その「自然」概念をわれわれの外部に存在する無機的な自然と考えるばかりでなく,「人間の自然=本性」さらにはその理性的な本性も含めて捉え,むしろ経験的に認識が可能とされた後者を重要視した。近代の自然法は,こうして啓蒙的理性に基づく本性法としても把握され得ることになる。

近代自然法を説いた論者たちは,本性において自由で平等で独立した個人から出発して,それに相応する社会・国家・法を構想し,実現しようとした。したがって,主体的個人の確立とともに,市民社会の形成と主権国家の権力の確立とを自己の歴史的課題とした。すなわち,(ギルドや村落共同体などの)中世的な中間団体や身分から個人を解放し,自立的な人格を創出すること,さらに国民的な統一秩序を実現し,資本制的生産の発展のための統一的市場を確保すること,これを課題としたと言い換えることもできる。

こうした歴史的な課題に対して,まず最初に法と国家を教会権力から独立させ,強化しようという対応がなされる。これを行ったのが,宗教や道徳からの法の分離独立を主張したグロティウスやトマジウスなどである。次に,個人の人格または人権を確立し,これに対応する国家論を構築して,それに基づいて現実の国家の政治機構を整備することが求められる。こうしたことに努めたのが,ルソー,ロック,モンテスキューといった人たちであった。

啓蒙期自然法論の歴史的展開は,@神からの法の解放(グロティウス,ホッブスなど),A法と道徳の分離(プーフェンドルフ,トマジウスなど),Bドイツ自然法学(ヴォルフなど),C民主国家論(ロック,ルソー,モンテスキューなど),D近代自然法論の衰退,の5つの視点から考察することができる。

@     グロティウスは,人間の本性に基づく法として自然法を主張したことによって,神の権威すなわち教会の支配的権威から自然法を解放する先鞭をつけた。また,ホッブスは,絶対主義の理論家ともみなされるが,国家権力の絶対性の根拠を神に求める主張を否定した。

A     プーフェンドルフは,グロティウスの自然法思想をホッブスの考えと結合しつつ継承し,その精密化と体系化に努力した。トマジウスは,自然法の最高原則を人間の幸福をめざすことと規定し,これを実現するために,道徳には誠実,政治には礼節,狭義の自然法には正義,などの各原理を必要とすると主張した。これらの各領域と各原理の考察の過程において,法と道徳の区別が論じられる。彼によれば,法的義務は常に他者との関係の中で問題となり,人間の行動の外的側面に関与するという意味で外面的であり,それゆえに強制が可能である。しかし,道徳は内面の良心を規律するものであって,まさしく内面的であるがゆえに強制は不可能である,ということになる。この議論は現代の我々からみれば,机上のお遊び程度にしかみえないが,しかしトマジウスの時代にあってこうした議論をすることは,実践的で政治的意義を有していた。当時のドイツにおいて教会権力はいまだに強大な力をもっており,人間の内面にまでその支配的な力をふるっていたのである。それに対して,外的な権威や権力は人間の心の中にまで踏み込むことはできないし,また踏み込むべきでないと主張することは,教会権力と戦い,その理論的な根拠を確保するという,すぐれて実践的なものとなるのである。

B     ドイツにおける自然法研究は,自然法学として,自然法そのものの論理的な精密化と体系化をさらに推し進めた。ヴォルフたちによって啓蒙的絶対専制国家を後見的福祉国家と位置づけるイデオロギーにまでなった。こうしてドイツの自然法論は硬直化し,弾力性を失って行く。

C     これに対して,イギリスやフランスでは民主制を展望した国家論が登場する。イギリスのロックは,自由の侵害に対する保護の設定を主張し,社会制度というものが個人の権利の保障者として機能し得るように法で規定すべきであると説いた。彼の主張は,近代的な主体性の論理を制度化し体制化することを要求したものとみなすことができる。

D     以上のように,近代自然法論は市民革命を主導する変革理念となり,自らの制度化・体制化を要求するまでになった。具体的には,1776年の「アメリカ独立宣言」,1789年のフランス革命における「人権および公民権宣言」などである。ドイツにおいても,19世紀初頭になると,自然法思想が大学法学部における自然法講座の設置などを通じて一般化していた。オーストリアにおいては「一般民法典」が制定されている。これらは,いわば体系化された自然法の法典化であった。こうして,近代自然法論はその歴史的使命を終え,徐々に衰退してゆくことになる。ただ,現代における支配的な政治制度や基本的な法原理ないし法制度も,この自然法論の主張の延長線上にあることを忘れてはならない。

近代自然法論は,各論者の世界観や人間観の相違,また背景とするそれぞれの時代の状況等によってきわめて多様な主張をもっている。しかし,共通の要素もある。それは,@自然状態を想定すること,A社会契約に基づいて国家状態ないし法状態が成立すると主張することの2点である。

@     自然状態

自然状態とは,社会生活から一切の国家的強制ないし政治的支配とを除去した状態であり,人間が自然=本性のままに生活している状態である。このような状態における人間は,自由で平等な存在者と捉える。こうした理解を,啓蒙期自然法論者のほぼ全員が共有している。ただ,本性の向う先は論者によって異なる。グロティウスは,人間の本性を理性的性格と社会性に求めて,自然状態もまた一定の秩序ある状態と考える。ホッブスは,人間は根本的に利己的な自己保存の欲望に満ちた存在であり,それゆえ自然状態において人間は「万人に対する万人の闘争」をくりひろげ,相互に狼であるような秩序を持ち得ない存在とみなす。ロックは,自立的な個人を出発点として,不確実ではあるが一定程度の秩序を保持している自然状態を想定する。

A     自然状態における自然法の位置づけ

グロティウスは、自然法を人間の理性的かつ社会的本性に合致するものと考え,自然状態においても妥当すると主張する。これに対して,ホッブスは,恒常的な闘争状態である自然状態から脱け出し,そこへと再び転落しないために,理性によって発見される法則を自然法と考える。彼は,自然権と自然法を区別し,さらにそれらが対立関係にあると考えている点に特徴がある。ロックは,主体的個人の自然的な基本権の保持と相互的尊重を命ずる理性法則として自然法を捉えていたがゆえに,自然権と自然法を対立し得るものとは考えない。それに対して,ホッブスは,自然権を自然状態において各個人がもっている無制約的な自然的自由(わがまま)とし,したがってこれは生命・身体・財産の安全を脅かす闘争状態である自然状態から脱却するための障害になると考える。それゆえ,ホッブスに従えば,自然権を放棄せよと支持する理性の命令こそが自然法ということになる。

B     自然状態と社会契約

人間が不安定な自然状態から脱け出して安定した社会的な生活状態へ移行し,それを保持するために諸個人はどのようなことをすればよいのか。これが自然法論者たちに課せられた次なる課題であった。彼らの出発点は,自律的個人すなわち自由・平等・独立という属性を有する個人であるがゆえに,なぜ本来的に自由な諸個人が国家の命令や法に従わなければならないのかを説明しなければならない。これに答えるために論者のほぼ全員がもち出してくる考え方が社会契約論である。すなわち,契約はあくまでも締結当事者の自由な意思に基づくがゆえに,何ものによっても奪われることのない自分の本来的な権利を,自分の自発的な意思に基づいて,つまり契約を通じて譲渡することになる。こうして,諸個人が政治的共同体に結集することを,契約という考え方によって啓蒙期自然法論の大前提に抵触することなしに説明可能にするしかけ,これが社会契約論なのである。

この社会契約を締結する動機と内容についても各論者によって様々であるが,自然状態における生命・身体・財産への危険を回避し,それらの安全をより強力に確保すべく,そしてまた公的な調停者の存在しない利害の衝突状態から逃れるべく人間は社会契約を締結する,という理屈は共通する。各論者の考える社会契約は,個々の具体的な内容をひとまずおいてみれば,人間が自然状態において有している自由ないし権利を,全部または一部を放棄して一個の政治的共同体に結集することを趣旨とする契約という共通性をもつ。ちなみに,契約当事者は,当然であるが当の政治的共同体に参加する全員である。ただ,社会契約は契約である以上,各人に締結するか否かの選択の自由は与えられている。契約をしなければ,自然状態にとどまる権利をもつが,国家公民としての保護は受けられないことになる。

C     社会契約論に潜む問題点

自然状態を想定して,そこから自然法・自然権を想定する。さらに,安定状態にするための理屈として,各人は社会契約を国家との間に締結したと想定することで,社会契約論は成り立っている。しかし,すべて「想定」なのである。そもそも我々は社会契約を実際に国家と締結した記憶はない。あるとするならばジョークにすぎない。ここで,なぜ諸個人が国家との間に社会契約を結ぶのかが不明となる。刑法学者としても有名なラートブルフによれば,社会契約とは,現実の人間がもつ意思の現実的な一致を意味するのではなく,「むしろ各人が,それが自己の真実の利益の中に存しているがゆえに,道理上欲せざるを得ないものが欲せられたものとして擬制される」ものである。したがって,その契約当事者もまた,自己の真実の利益を認識しており,それによってのみ自己を規定するような「純粋の理性者として擬制される」ことになる。要するに,人間が理性的存在であるとすれば,その理性的な判断に基づいて自己の真の利益を想定し,当然に締結するはずのものとされる。つまり社会契約は「擬制」の上に創り上げられたものである。

このように,社会契約は,人間が「理性的存在であるならば」という仮定的条件のもとに,「締結するはずである」というされるフィクションなのである。

D     社会契約論の問題点と自然法論

近代市民社会は,個人と個人,個人と社会,さらに人間と自然の分離対立を必然的にもたらす社会システムである。啓蒙期の自然法論も,決してここから無縁ではいられない。すなわち,近代自然法論の想定する自由で平等の独立した個人という人間像も,現実の中で具体的な個性をもって生きている生身の諸個人からその一側面を抽象して成立し得たにすぎない。それゆえ,近代自然法論は2つの意味でイデオロギー性をもつことになる。1つは,絶対王政を倒して政治権力を奪取しようとする市民階級の主張を正当化する役割を担うという点であり,もう一つは,自然法論に限らず,近代的な法的思考が共通してもたざるを得ない個人の抽象化という意味である。また,留意しなければならない点として,当時の市民階級にとって理想と捉えられたもの,彼らにとって歴史的に必然であると考えられたもの,また望ましいとされた人間の諸規定,自由や平等,理性また博愛等々を「自然=本性」概念の中にあらかじめ織り込んでおいて,そこから自然法上の規定を導出するのである。それゆえ,自然法理論とは、絶対的正義を考究し確定するという建前にもかかわらず,実際には,当の論者の理想とする法や国家のあり方を「自然=本性」を用いて正当化する理論になりがちである。逆に言えば,絶対的な正義を標榜するがゆえに,かえってそれを認めない人々や思想を,絶対的な悪として抑圧する危険性を有するのである。

 

《筆者雑感》

近代の自然法論の展開は,社会契約論とのかかわりが重要である。また,古代・中世のように,絶対的で超越した存在(神)を前提として自然法を捉えていない点に特徴がる。その代わりに,自然状態という仮想空間を想定し,その中での人間の心理・行動を想定する中で,人間の本性を想定する。この本性が自然法であるとする論者が多い。ホッブスは,自然状態における人間は狼同然と捉えているので(いわゆる性悪説ということだろう),本性は自然権(わがまま勝手に他者を侵害する権利ということだろう)であり,それを安定状態に持っていくための自然法を想定するわけである。どちらにしても,人間の中から自然法を導き出す点が特徴的である。また,この自然法が人権宣言などの文字に記され,それを自由で平等な市民が契約という形で締結するか否かを選択する。これが社会契約であり,なぜ諸国民が法を遵守する義務を負うのかという点についての正当性の根拠といえよう。



(5)  現代

既述したように,自然法的思考は啓蒙期自然法論の登場とともに,現代の我々にとっても無視できない重要性をもつようになったのであるが,市民社会的な生活のあり方が定着し,それが安定してくるにしたがって,啓蒙期自然法論はその歴史的使命を果たし終え,法実証主義的思考に,法思想における支配的地位を譲っていった。

しかし,19世紀末から20席初頭にかけて,資本制経済システムの変化を背景にして「自然法の再生(ルネサンス)」や「自然法の永劫回帰」が主張されるようになった。すなわち,市民社会の動揺としても現れた資本制的生産社会の変容に直面して,法実証主義的思考の一典型である概念法学が顕在化した諸問題に対応しきれなくなり,自由法運動などによって批判されることになった。この自由法運動やその他の概念法学批判の諸潮流の中に,自然法的思考の再生も読みとることができる。こうした再生自然法論の傾向をもった人間の中には「変化する内容をもった自然法」を説いたシュタムラー,フランスのサレイユなどがいる。

20世紀初頭に復活した自然法的思考も,変化した社会のあり方に対応できるように法律学が,そして実定法体系が(現代法として)整備されてくると,概念法学的発想をのりこえた法実証主義的な諸傾向にとってかわられた。しかし,第二次世界大戦が終結した後,ヨーロッパとりわけドイツにおいて自然法論の復活が叫ばれるようになる。

ここでは,近代当初の自然法論的思考が,実定法が整備される中で衰退し,法実実証主義が台頭して行き,その歪みから自然法が再燃して行くまでの歴史的背景と,要所要所で歴史の分岐点となった思想家の思想をまとめる。

@     自然法論の行方(歴史法学・概念法学・法実証主義)

近代化は,世界各国それぞれ歴史的事情を抱えており,年代も中身も一様ではない。フランスやイギリスなどでは市民の中に自主性が芽生えだし,内からの改革という近代化の動きとなった。しかし,ドイツ(またわが国も)などは,その動きから少し遅れをとった。すなわち,近隣諸国において近代化が図られ,自由主義経済が猛威を振るっていた中で,いち早く近代化とくに経済における近代化を推し進める必要があった。フランス・イギリスのように内からの改革を待っていてはヨーロッパ列強の中に埋没する可能性があり,ドイツやわが国では,上から(もちろん国家)の改革が推し進められることになる。後追いの国であるだけに急ぐ必要があったのである。

この状況においてドイツで「上からの近代化」に相応する法のあり方について応えたのがフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーを中心とする歴史法学の人々であった。歴法法学派は,一般に,法の世界に「歴史性」を導入することによって自然法の理論的生命を終わらせたとされる。まずはここから検討する。

新興ブルジョアジーのイデオロギーとして登場した啓蒙期自然法論は,ドイツ的な自然法理論を経由してカントにおいて理性法論として継承された。そして,このカントの思索そのものを問いかえしながら,その問題意識を批判的に継承し深化させていったのがヘーゲルである。一方,サヴィニーは,「法学におけるカントの如き人」になることを目標に法学研究をすすめ,無批判的受容とも言うべき,カント哲学に対する継承関係をもつ。サヴィニーは自然法理論を批判しながらも,ドイツ自然法学の思考方法である「論理的演繹」を継承し,その思考形態という意味では継承性ないし連続性を言い得るのである。彼は,実定法一元論の立場をとることによって法実証主義への道を切り拓き,また法の歴史的研究を主張し,これによって社会の中で実際に人間の行為を規制しているルールを探求する学問,すなわち法社会学への道も切り拓いたのである。

サヴィニーの行った学問的課題は,現実に相応しい法適用理論を創造するために,@歴史的方法とA体系的方法を提唱した。歴史的方法とは,民族の生活の中に法の素材を探求することであり,体系的方法とは,そこで求められたものを素材として法体系を築き上げることである。彼は,歴史的方法の対象としてゲルマン法ではなくローマ法を選択した。それは,当時のドイツがいち早く資本主義経済体制を実現する必要から,商取引の発達を促したローマ法を選択したと思われる。

また,サヴィニーは,法規定の成立根拠である「法源」を法制度だけであるとする。そして,法制度は自由に組み合わせが可能であるともいう。こうした主張が意味するのは,法律関係つまり具体手金生活諸関係をひとまず捨象して,法規定を法制度の直観に基づいて整序してしまう思考方法をとることである。このような思考方法は,古代ローマ法,実際には中世ヨーロッパにおいて継受され慣用されてきたローマ法の諸概念また諸規定を,近代的な社会システムにおいて把握された法制度の枠内に整序すること,逆に言えば,近代的な社会のあり方に相応しいように直観によって把握された法制度を,ローマ的な法律概念で表現する作業,これを可能にするものである。彼のこうした思考方法は,自然法論の結論先取的なそれと同型のものであるといえよう。自然法論の立論のスタート地点である自然概念の位置に,直観によって把握された法制度を代入したならば,それが歴史法学の根底に存する思考方法になるからである。

このようなサヴィニーの考え方は,後にカール・ラーレンツなどに批判されることになる。すなわち,サヴィニーの主張する,法規定の根底にある法制度はなぜ優位的立場にあるのかという問題に対する答えを,「直観」に求めたところに不十分さがあったことがウィーク・ポイントとなった。しかし,サヴィニーを中心とした歴法学派の業績は多大なるものだった。彼らは古代ローマ社会において形成されたローマ法を,近代的な生活諸関係にも適合し得るように,学問的に加工し,古代ローマの法学者には想像もつかなかった抽象的な法概念が創出され,それに基づいて抽象的な法規=法命題の論理的体系が形成されていった。こうした研究は19世紀を通じて継続され,ドイツ普通法学(パンデクテン法学)の壮大な体系が形成されてゆく。しかし,もともとは歴史法学から出発したドイツの近代的法律学は,その歴史法学派の綱領からかけはなれたものになってしまった。つまり,歴史法学派の内部に潜在していた概念法学的思考方法が顕在化してくる。歴史法学派は,実定法一元論の立場をとることによって法の領域から自然法を排除し,同時に法実証主義への道を切り拓いたのである。

これは,近代の法的思考が自然法論的なそれから実証主義的なそれへと展開することを意味する。すなわち,近代自然法論において目標とされ,理想とされていた市民社会的なあり方が,一応は現実の社会として定着し,その自然法論のイデオロギー的な内容が実定法において実現されていったことを意味する。

一般に,実証主義といえば,一切の超越的な思弁を排し,事実と経験にのみ基づく認識を主張するものとされる。要するに,学問的認識また科学的認識は,経験的に検証し得る事実を認識することに限られるとする立場である。これが法的思考の領域に現れると,法実証主義となる。法実証主義の基本的な特徴は,@実定法一元論の立場をとり,A法と道徳の領域を峻別して両者を効力的に遮断し,B法的な領域において一切の超越的な基礎付けを排除するがゆえに,実質的な内容をもつ正義などの法理念の探求に対してネガティブな態度をとる,といった諸点である。@の実定法一元論の立場に立つという意味は,自然法が法でないと主張することであり,それゆえ自然法に基づいて実定法の効力が認められるといった議論は明確に否定されることを意味する。そのことから,法の内容が道徳的にみて不正であると判断されたところで,実定法は依然として法としての効力をもつことになる。これが法と道徳の峻別として体現される。

自然法を法の領域から駆逐する法実証主義が,法的思考において支配的な見解となることによって,近代自然法論の歴史的使命は終わることになった。この自然法論から法実証主義への移行は,まさに「あるべき法」から「ある法」へと法の捉え方が変化したことだといえる。すなわち,いわゆる市民革命を通じて自己の権力を確立し,そのイデオロギーに相応する社会体制を樹立したブルジョアジーにとって,現に「ある」ものこそが理想的(合理的)であることになる。したがって,「あるべき」姿はどのようなものか,それに照らしてみたあるものとは何か,またあるものの根拠はどのようなものか…を検討する必要はもはやなくなり,現に「ある」ものをあるがままに認識して,それを整序するだけが学問の任務ということになってくる。こうした学問に対する要請が,経験的・実証的な世界観また学問を支える基礎である。

ここで登場するのが「概念法学」えある。この概念法学的思考の特徴は,@実定法秩序が論理的にそれだけで自足しており,欠けるところがないこと(実定法秩序の自己完結性と無欠缺性)を確信し,A一切の法的規制,法的規定は所与のじってい法規の純論理的操作によってなすことができると考え,それゆえにB法解釈の任務は具体的事例を概念体系に包摂することだけであるとし,裁判官を自動包摂機械(判決機械)とみなす,というものである。

こうした概念法学的な思考形態においては,社会が基本的に目指している方向性あるいはその根本構造が要求するところと,実定法秩序総体の担っている価値ないし理念が一致している,あるいは少なくとも大きく乖離していないということが前提となっている。換言すれば,当該社会にとっての正当性と合理性が乖離していないことが前提となっている。概念法学の考え方は,自然法的な正義も含めた不確定な倫理的要請や政策的要求を考慮することなく,所与の実定法体系だけに依拠して,それを純論理的に操作することによって具体的な紛争事例を法的に処理することができるとする。それゆえ,これは,予測可能性と法的安定性を要求する近代社会の成立期,またそこにおける市民階級の要求に即応するものであった。周知の通り,近代以降の社会は,資本主義経済をその核に置くものであった。資本主義経済は,常に権利は権利として,義務は義務として確実に保障され,契約は必ず果たされなければならないというルールが確実になってこそ成り立つものである。

概念法学的な思考は,所与の実定法体系の論理整合的な解釈に専念し,社会的現実を視野に入れない傾向性をもつが,逆に言えば,現実を無視するがゆえに,産業革命という社会の根底から改変が加えられるような社会の変動期において,こうした社会変動に煩わされずに結果として法的安定性を確保できることになる。

こうした傾向は,ドイツに限らずフランスにおいても,19世紀を通じて,とくに1830年代から80年代にかけて支配的になった。これがフランス注釈学派である。

注釈学派は,法典の条文を絶対視し,法源を議会の議決による成文法に限定し,法解釈の任務を条文の厳格な形式論理的操作による立法者意思の認識にかぎる。この背景には,ルソーに代表される「法律は一般意思の表現」というフランス啓蒙思想の影響があり,またフランスの成文法はフランス革命の成果として作られたものであり,自然法を成文化したものに他ならないという考え方が存在していた。また,アンシャン・レジーム(旧体制)の側に属する司法官僚(司法貴族)が,革命の成果である成文法の内容を裁判活動を通じて自分態の有利に歪曲するのではないか,という不信感からでたとされるモンテスキューの三権分立思想,また裁判官は法典の機械的執行者であるべきだとするナポレオンの法曹教育に関する方針も影響していたと考えられる。

A     概念法学への批判(目的法学・利益法学・法社会学)

ヨーロッパでは1860年代になると,イギリスはもちろん,フランスさらにはドイツも産業革命を達成しつつあり,いわゆる産業資本主義の段階から独占資本主義の段階への以降が日程にのぼりつつあった。そして、19世紀末から20世紀にかけては,「資本主義の危機」また「市民社会の動揺」ともいわれる時期をむかえることになる。こうした時代の変化する時期においては,法的思考だけがひとり超然としていることはできない。ここに,概念法学的な思考様式に対する批判が課題として登場することになる。

「権利のための闘争」の著書として有名なドルフ・フォン・イェーリンクは,自らの研究成果を概念法学と批判して,目的法学を提唱した。彼によれば,法は目的の所産であって,その目的は現実的な利益意思を中核にしている。法的な思考の領域に目的や利益の概念を導入することによって,彼は自由法運動や利益法学などの先駆的存在となった。

自由法運動は,自由な法探求と判決における裁判官の自由裁量の余地,すれゆえにまた裁判官の自由は法発見・法想像を認めようとする思想運動と言うことができる。すなわち,これは,法と社会的現実のズレまた法の欠缺や不備が著しくなったとき,それを解決するために裁判官と法学者とを国家制定法への拘束から解放することが必要であると主張した。この中で,自然法の復活を主張する学者もいた。

しかし,このような自由な法発見は,ともすると主観的で恣意的なものになりがちである。何らかの客観的な尺度が必要とされることになる。

そこで登場したのが,利益概念を提唱する利益法学である。その代用者のひとりであるヘックは,法それ自体が利益の産物であり,法の中心部分には利益保護が存在するとして「利益較量」の中に規準を求めようとした。このように,利益法学は、成文法つまり法律を法的共同体の諸利益の産物,勝利をおさめた利益と捉え,法の解釈および判決の究極目的を生活の必要や社会に存在する物質的および理念的な諸欲求を満足させることと考える。そして,法的紛争においては,共同体の利益を優先させつつ,つまりは成文法を尊重しつつ,対立する紛争当事者の利益を較量して妥当な法的解決を与えようとする。

また,法と社会的現実との関係を実証的に,すなわち経験と観察に基づいて探求しようとする学問,法社会学も主張されるようになる。

B     自由法運動の行方

概念法学であれ,自由法運動や利益法学,法社会学であれ,これらの学問的前提には,客観的前提には,客観的に実在している法ないし法秩序がある。しかもそれらは,経験的な事実から出発し,実証的な方法によって法を論じようとするものである。この意味では,それらを実証主義的な法学を総括することができる。

そして,以上のような実証主義的な諸法学の展開を考察すると次のことが言える。すなわち,諸々の法学の考え方、法律学のあり方,狭くは法解釈の方法は,社会の基本的に要請するところと実定法秩序総体の担う価値(理念)との関係によって変化する。もし,社会的現実の根本的な構造に根ざした要請を制定法秩序の体系,もう少し広く考えれば実定法秩序の体系が十分に担い得る場合,概念法学的な方法でも何ら不都合はないはずである。もし不都合が生じるとすれば,それは法秩序ないし法体系が社会の要請するところから乖離して、これを担い得なくなっている状態においてである。

こうした不都合を是正するためには,立法者が,社会的現実に適合するように法体系を修正すればよい。しかし,法の改廃というのはどうしても社会的現実の動きから遅れてしまう。では,その間,当該法秩序のもとで暮らす人々はその不都合を受容しなければならないのであろうか。現実には,そのような場合が多い。それは、全実定法体系が社会の要請から乖離してしまうのではなく,その一部分が社会的な適切さを欠くことから生じてくる問題だからである。しかし,そうした場合であっても,それを長期間にわたって放置する事は,全実定法体系の拘束力を損なうまでにいたりかねない。こうして,法の解釈を通じて,すなわち裁判官の判決や法学者の解釈学説を通じて,社会的現実と法体系(およびその文言)との間の溝に架橋する必要性が生ずる。これが法の解釈方法,いわゆる法律学方法論において論じられる問題の核心である。

 

《筆者雑感》

現代における自然法論をまとめれば,法実証主義のもと体系化された成文のなかに,革命の主張であった正義・平等・自由などの自然法を取り込んだことにより,あえて自然法などを主張する意味がなくなったものといえよう。ただ,体系と法文は静止画像のようなものなので,資本主義経済の高度な発達による,労働者問題などの社会問題に対応できなくなった。そこで,概念法学を捨て,実社会で起こる問題を解決するため,裁判官に法解釈の裁量を認めた。裁量を恣意的なものとしないために,法の目的,利益較量などの客観的規準による法解釈を求める動きとなってゆく。

最後の,裁判官の裁量による法解釈の方向性を決める規準は何かを考える際,それは実定法にない自然法なのではないかと考えることもできるが,多くの論者は,それは法実証主義の範囲内であるとするところも特徴的である。

以上





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