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田中謙次ブログ記事2006年11月21日 「いじめによる自殺」現在,巷ではいじめによる自殺がクローズアップされている。 とても難しい問題なので,軽はずみなことは発言できない。
しかし,命は2番目くらいに重要なものだと自分は考えているので,やはり自ら若き命を絶つのだけはやめてもらいたい。 みなさんご承知の通り,わが国の自殺による死亡件数は,年間3万人を超えています。
最近の交通事故による死亡が6〜7千件程度であることから比べてみると,相当な数になっているといえよう。 誤解しないでもらいたいが,
私は,自殺=悪いこと,と単純に割り切ってはいない。 逆に,死を覚悟した行き方こそが,限られた生を意味あるものにすると考えている。 ちなみに,これこそがまさに武士道であり,日本古来の世界に誇れる思想のひとつだとも考えている。 日本人に自殺者数が多いのは,このような文化的な背景も影響しているのではなかろうか。 ヨーロッパ流の考え方では,生まれてくることを人間は選択できない以上,死ぬことも当然選択できない。生とは神から与えられたものであり,その生を人間の意思でかえてしまうことは,まさに神との契約を破ることになる。だから,聖書には自殺を禁ずる戒律があるのでしょう。
しかし,東洋流の考え方では,人は神に選ばれし存在ではなく,他の生物・植物と同様に,自然環境で共存すべき一存在にすぎない。人は母から生まれ,死して仏となり神になることもない。つまり,東洋哲学では,死と生は共存し表裏一体の関係にある。 ヨーロッパ流の考え方では,(たしか)生きている間に神との約束事(バイブル)を守ることと神を信じることで,死んだ後に永遠の命を授かるはずです。つまり,死は永遠の命を得るための通過点である。
東洋流の考え方では,仏を含めた家族および地域社会との共存と協力が,生きる上で重要な指針とされ,永遠の命なる概念はないが,代々子々孫々命が子に受け継がれていくと考えるのでしょう。日本では世界に類を見ないほど,古くからの戸籍が残っていることがそれを物語っているといえよう。 ちなみに,私たちの住む日本の,政治的な土台である日本国憲法は,ご承知の通り,ヨーロッパ→アメリカ合衆国を経由して,敗戦と同時に導入させられたものです。ですから,その根本思想は,日本古来の考え方などなく,ヨーロッパ流の個人主義・自由主義が前面に出ている規範となっています。
敗戦国故に,勝者である国に従うことを強いられた。長らく日本の教育は日本古来の文化や歴史・思想というものを捨て去られ,ヨーロッパ流の考え方が正しい考え方であると,当然のように教え込まれてきた。 もちろん,私もその1人である。 ただ,大学4年生〜大学院修士にかけて,自分の人生の多くの時間を費やす法律学学習のすべてが,たかだか数百年の歴史しかもたない戦争で勝ち続けた国におけるルールであることに気が付くと,なんだか非常に虚しい感覚を覚えたものだ。ある意味,あの時が,学問に目覚めたときだったのかもしれない。
話しを戻そう。
以上のように,西洋と東洋ではそもそもその考え方の根本が異なるのだと思う(もちろん,共通するところも多いでしょうが)。当然に,死と生に対する考え方も自ずと異なってくる。 誤解を畏れず申し上げれば。
古来日本においては,コミュニティー(地域社会)を中心とした個人主義があったのであり,これは日本国憲法に書かれているような西洋流の個人主義とはほど遠い。仏教にある「自他同害」なる概念はまさにこの思想を物語り,日本流の個人主義が見え隠れする。 そこでは,どんなに恥を晒しても生き抜いて,どんなに人に迷惑を掛けている人でも命は尊いので,侵すことは許されない,などという規範は生まれてこない。死とは生きることに他ならないからだ。 地域社会での共存共栄を中心に考え,安全で住みよい助け合いの社会を継続させるために,人は身勝手や我侭を禁ぜられ,それをおかすものがいたら,地域社会から除かれることになり,改めない限り生はない。 これは,一見,全体主義的で個人をないがしろにした考えにも思えるが,そうではないのではなかろうか。 人が真に自分を見出し,人生に意義を見出すときというのは,自分以外の人や社会のために貢献できたときなのではないか。自分を必要とし信頼されることで,自分自身を社会の中で確立させ,そして人を信頼できるようにもなるのではないか。 つまり,日本人には,他者の人生を思い遣り,特に身近な他者(家族・友人)は,自分の命よりも大切なものとなり,それを守る(最大の社会貢献)ためならば,自ら命を断つことが美しい生き様なのではないか。そうすることによって,その身近な死は,身近な者たちの心に永遠に残り,聖書っぽい言い方をすれば,日本流の永遠の命となるのではないか。 繰り返すが,私は,決して命を軽んずる発言はしていない。
両親からいただいた生を,軽はずみに断ってはいけないことは当然である。 しかし,日本の3万人の自殺者の多くは,家族のため愛する者のために,やむにやまれぬ事情で死ぬことが多いのではないか。このような死を,私は軽んじたくないし,否定はできない。
ただ,はじめに問題提起した,いじめによる自殺は,ちょっとこれらとは異なる。
どちらかといえば,日本独特のコミュニティーによる制裁から,生きる場所を失った上での死のような気がする。 夏目漱石が言うように,人の世が嫌になって他に引っ越しても結局人の世でしか生きられない,のである。人の世で息苦しさを感じたからといって,決して逃げる場所などないのである。人を思い遣る気持ちを忘れずに,息苦しい人の世でも生き抜く忍耐力を身に付け,自分勝手で我侭し放題の人からの侵害があったときはそれに立ち向かうだけの勇気と力を身に付けなければならない。もし自分に力がなかったら,力のある他者の手を借りることも重要である。 私は,自分の命を軽んずる者には同情しないが,死を覚悟した上で生きることを選び,悩んでいる人には積極的に手を差し伸べたい。
いじめくらいで,絶対,死なないでほしい!
全国生涯学習支援協会
理事 田中謙次 |
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